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第五章 適当なあしらい

 魂で彷徨うことに慣れてしまったのか、育ち盛りなせいか。この何か月間か、景七(ジンチー)は身体が怠くて仕方がなかった。

 一日中ごろごろと、実質豚のような日々を送る。平安(ピンアン)に言わせれば、正に「春は眠く秋は疲れ、夏には居眠り、冬三か月は起きられない」というような生活であった。

 皇帝には病を理由に暇を乞い、偶に通例の挨拶をして回るのを除けば一歩も外に出ない。そこらの貴族の娘よりも「規範的」なのではないかと思うほどである。

 人であった前世、景七は物心のついた頃から 赫連翊 (ハーレンイー)を常に気に掛けていた。何かと彼のために考え、自分の感情よりも太子の憂いや喜びを優先していた。実の父親に孝行できなかった分、情も力も使い尽くしていたのかもしれない。

 だが執念のように思い続けていた存在が消えた今世、ふとがらんと空いた心はとても軽かった。

 どちらにせよ、景七は楽観的であった。

(自分はまだ幼いが、この慶国もすぐには倒れまい)

 根本から腐っているとはいえ、外側には繁栄に煌めく殻がある。本当に内と外からの二重苦に苛まれるようになるのは、太子一派も羽を固めた頃だろう。

(その時になれば、天が堕ちてこようと彼等が支えられるじゃないか)

 景七はふと、二十年もの間朝の会議をすっぽかし続ける皇帝の気持ちが分かったような気がした。人生で静かな愉しみに勝るものなどないのだ――毎日日が高く昇るまで眠り、起きれば食事を少し口に含む。字を練習し、気が向けば適当な詩を詠む。棋譜を広げ、本を捲り、地誌から民間の伝説まで読みつくす。目が疲れれば床に凭れ、再び眠りにつく。

 景七が本と「向き合って」いる時間は長く、一見すると幼いながら勉学に励んでいるように思えるだろう。だが平安の数えるところによれば、茶を注ぎ足しに十回行ったうち七、八回は、景七は目を閉じて瞼で「読書」していたのであった。

 正に「食っちゃ寝」の極みである。

 王府に入ってから、時間までがゆっくりと流れているようであった。

 怠くなれば眠り、眠れば眠るほど怠くなる。

 とうとう休みに宮廷を出て様子を見に来た赫連翊までもがおかしいと勘づくほどになった。

「お前のところの主人はどうだ?」

 「食っちゃ寝」の景七とは違って精力を尽くしている可哀想な太子は、南寧王府へ来る度にさり気なく尋ねるのであった。

 だが、返ってくる答えはいつも同じようなもの。

「既にお休みになられました」

「まだ御起床になっておりません」

「書房で休憩を取られております」

「裏庭で頭をお休めになっております」

……

 場所は変われど、行動は只一つ――寝ている。

(何か病気でもしたのか)

 こうしたことが暫く続いた後、赫連翊はわざわざ侍医を連れてやって来たのであった。

 緊張した様子で「どうだ?」と傍で度々尋ねる太子殿下に、脈を診ている侍医は言葉を詰まらせる。

「ええ、とですね......」

 脈など診ずとも、部屋に入り顔色を目にしただけでこの南寧王に何の問題もないことは丸わかりであった。よく食べよく寝た健康体で、心配される病気などある訳がない。ただそれをそのまま口に出す訳にもいかない⸺自分に大した能力が無いと開けっぴろげに言っているようなものであるからだ。よって胡侍医は勿体ぶって下顎を擦り、ゆっくりと告げた。

「『素問』に百病は気より生ず、とあります。怒れば気上り、喜べば気緩まり、悲しめば気消ゆ。恐るれば気めぐらず、寒ければ気閉じ、暑ければ気泄(も)る。驚けば気乱れ、労すれば気耗(へ)り、思へば気結ぼうる。人の七情六欲に気を生じざるもの無し。気を生ずれば肺腑は不調となり......」

※『素問』……『黄帝内経』素問篇のこと。
中医学の基礎理論を体系化した古典である。

※百病は気より生ず……多くの病は気の(正常な流れが妨げられた)影響で生じる。

※肺腑は不調となり……七情六欲が過剰に生じれば心系統が乱れ、それに対応した系統(怒りは肝、喜びは心、思慮は脾、悲しみは肺、恐れは腎)も影響を受ける。
要するに、侍医は肝心の病気の有無ではなく発病の原理を語っているのである。

 だらだらと引用を続ける侍医が何を言っているのかは良くわからないが、景七の「病」が仮病であることだけは判った赫連翊は景七に白い目を向けたのであった。

 侍医を丁重に送り出させると、赫連翊は景七の方を振り返り意味深長に尋ねた。

「病が重い、だって?」

 景七は真面目な顔をして答える。

「太子殿下、私の病は命には関わらないと言いますが、治るようなものではないのです。侍医殿が周りくどく説明されていたのは彼の力が及ばないからなのですよ」

 赫連翊は眉を上げて彼を見る。

「ほう、どんな病だ?」

「前朝に『問石』という、杜という神医の絶学を記した書がありました。第九篇には様々な難病や雑病が述べられており、その一つがこの過眠症です。百年に数例も見ないほど珍しいものですから、胡侍医も見たことがないというのも頷けます」

 何食わぬ顔でそれらしいでたらめを並べる景七を、赫連翊も遮ることなく半笑いで見つめていた。

(まるでそこらで怪しい物を売り金を騙し取る者のようだ)

 景七は考える様子もなく、自信げに続ける。

「過眠症を患ったばかりの頃は普通の者と何も区別はありません。ただ比較的良く眠り怠そうな様子を見せるだけです。それが暫く経つと終日意識がはっきりとしなくなり、一旦目を閉じれば雷に打たれようと一日中眠れるようになります。数年経つ頃には長い眠りにつけ、飲み食いなしで短ければ三十年から五十年、長ければ……」

「長ければ?」

 赫連翊は椀に茶を注ぎ、脇に座って続けられる詭弁を待った。

 景七は目をくるりと回して笑う。

「一番長いもので六十三年醒めなかったそうですよ」

 その瞬間、言葉にならない表情が綺麗な少年の顔に浮かんだ。皮肉なようでいて、冗談であるかのような軽い笑い。ただそれは見つめる間もなく消え、見間違えたかと目を瞬けば、そこには法螺吹きの癪に触る面があるのみであった。赫連翊は傍に置いてある書物を巻き上げると、手を伸ばして景七の頭を叩く。

「過眠症?面倒くさがり病の間違いだろう?」

 景七は笑いながら避ける。

 少年同士の無邪気で親密な動作にもだんだんと慣れ、最初に感じていた抵抗感や違和感は抜けていた。時折「自分達にもこんなふうにわだかまりの無い時期があったのだ」と感慨が湧くのみである。

 無常鬼の為す事は名の通り無常である。目の前の人間が将来どれだけ権威を大きくし、冷酷で無情になろうとも、今の景七にとっては、歯を食いしばって屈しない只の子供でしかない。

 とはいえ赫連翊は景七より数歳年上である。すぐに捕まると懐に押し込められ、頬をつねられる。やっと解放された時には、景七の小さな顔は紅くなっていた。

「父上の雲隠れ癖ばっかり学びやがって」

 子は父の過ちを言わないものだ。それに彼の父親はいくら頼りないとはいえ、口を開けば人頭を落とせる皇帝である。景七は彼の突然の歯に衣着せぬ物言いに驚いた。

 赫連翊は人前ではいつも穏やかで慎んだ物言いをする性格である。無駄な動きはなく、余計な言葉は発しない。ただの一言でさえ、腹の中でこねくり回してからでない限りは軽く口にしないのだ。

 しかし彼もまだ十数歳の少年である。様々な思いを心の中に留め置けるほど成熟しておらず、景七が宮中に不在で本音を言える相手もいなかったのだ。言葉を選ばない物言いは、今まで余程抑え込んでいたからなのだろう。

 赫連翊もすぐに自分の言動に問題があったことに気付いたが、

北淵(ベイエン)は外の人間でないから大丈夫だろう)

 そう思いつつ、溜息を吐いて話題を逸らした。

「王府では伸び伸びと過ごしているみたいじゃないか」

 景七は少し沈黙してから答える。

「太子、本朝の侍読の多くは世家の子弟ですが、位を継いだ先例などございません。父王が早く逝かれた今……勉学をするにしても、規則に依れば自身で王府に師を招くべきなのです……」

 景七は一度口をつぐむと、赫連翊を見やった。慶国の世家の世襲は年齢を問わない。父親が世を去れば、爵位は最年長の嫡子に譲られるのだ。その子供は五歳であれ十歳であれ、位を継げば成人と見做される。

 しかし景七は幼い頃から宮廷の中で育った身である。もし彼が本当に太子の侍読を続けたいのならば、それでも問題はなく事は運ぶだろう——ちょうど前世のように。

(それが嫌だから言い訳に使っているんだ)

 はっきりと感じ取った赫連翊は、やはり落ち込むのを禁じ得なかった。

「北淵……」

 とうに少年の燃えるような意気もなくなった今、景七は彼らに自身の精力を尽くしたくなかった。少年のふりをするのも疲れるものである。——当然、最も肝要なのはこの将来帝位に就く男とあまり関わりを持ちたくないということだ。しかし関わりを持ちたくはないと言っても、彼に不愉快な思いをさせてはならない。景七は少し考えを巡らせ、切り出した。

「私の父王の初七日の夜、誰が訪れたと思われますか?」

 赫連翊は思いも寄らない問いに呆ける。

馮元吉(フォンゲンチー)大将軍です」

 景七は低い声で言うと、指でこんこん、と卓の縁を叩き、目を伏せた。

 我に返った赫連翊の顔に、痛み惜しむ表情がよぎる。少しの間の後、冷笑が発せられた。

「大皇兄は……よくやってくれたものだ。何も出来ないくせに他人を陥れ国や民を害することにだけは長けている。彼の右に出る者はないだろうな」

 勢い良く立ち上がると、背後で手を組んで歩く。

「眠る龍は醒めず、虎は平陽に落ち、豺狼が横行する、もし私だったなら……」

※虎は平陽に落ち……力のある者が優勢を失ったこと。
平陽は平地を指す。

 だったならどうなのか、ということが彼の口から語られることはなかった。食いしばられた歯の間の冷笑に、少年の悲しみと憤りが全て込められていた。

 景七は言う。

「権力がないのだから、言うことを聞いて見守るほかないですよ。だからあの日ふと思った……もし私が宮廷に戻らず王府に残れば、少なくとも貴方に帰る場所を残せる。宮廷の外に安心して話をしに行ける場所が増えたと思って、もし……」

 顔を向けた際に見た光景を、赫連翊は何年も経った後も覚えている。少し暗い、月のように白く袂の長い服を羽織った少年が両手で湯呑を持ち、眉を下げてこちらを見ている。

 細められた目の中でくるくると動く瞳。余計な畏まりはなく、落ち着ききった体裁上のやり取りもない。軽い調子で言われた言葉——少なくとも貴方に帰る場所を残せる。

 愁いを知らない少年の胸に多くの猜疑はない。この時、少年は手に権力を、他人の生死を握る感覚をまだ知らなかった。

 口惜しいのは、花の齢は少年の為に留まらず、ということだ。だが、それはまた後の話である。

 景七が初めて本当の意味で出かけて人に会ったのは、それから半年以上経ってからのことであった。南疆からの人質が都に到着したのだ。

 景七を呼んだ皇帝の考えは単純なものであった。大巫師の巫童は聞いたところによればまだ十一、二歳の子供である。悪い道を南疆から遥々京までやってきて、体が土地に慣れないのは置いておいたとしても、言葉が通じないのが可哀想である。仁義を以て国を治めている慶国としては、遠路を来た彼らは丁重にもてなさなければならない……当然、仁義による統治と南疆への侵攻は別の話である。

 彼が成長を見守ってきた景北淵は、屁理屈を言ったり怠けたりするだけでなく面白い、類を見ない良い子供である。巫童の伴とするのに丁度良いと思ったのだ。

 よって景七は朝から小さな朝服に厚く包まれ、目も開き切っていない状態でふらふらと宮中へ参ることになった。そこで、一生の縁を持つ命運の人間と出会うこととなったのである。


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